「天国で会おう」
ある日の出来事。
午前中、いつもの日常。
テレビの脇には本棚を置いている。
ボーッとリラックスした自分。
そうやって。
テレビ📺を見ながらくつろいでいると。
突然、本棚から一冊の本が落ちてきた。
びっくりした‼️
「何⁉️😱」
「今、勝手に本が落ちてきたよね‼️」
本が落ちてきたことにもびっくりしたけれど、沢山ある本の中から何の本が落ちてきたかとその本のタイトルを見ると。。。
「天国で会おう」というタイトルの小説だった。
(・・・・・何?)
(今日何の日だろう?)
胸騒ぎして思い当たることを思い出しにかかった。
あ‼️
お爺ちゃんの命日だ👴‼️
そう。その日はだいぶ前に亡くなったお爺ちゃんの命日👴だったんだよね。
「ごめん🙏忘れてた‼️」
「お爺ちゃん、ごめん‼️」
そう思って、速攻お母さんに電話した。
そうすると、ちゃんとお供え物したから安心してと。
これはポルターガイストというのだろうか?
伝えたいメッセージとは。
やっぱり。
「天国で会おう」
天国で会おう、って伝えたかったんだろうか?
天国は本当にあるのかな?
お爺ちゃんは天国にいるのだな。
色んな考えが浮かんだけど。
もしかしたら、時々私を見に来てくれてるのかも?と、心が温かくなった。
(まだ早いけど)
(いつか、天国で会おうね)
あの世で再会できると思えば。
嬉しい😃。
だから、今生きているこの瞬間を。
大事に大事に精一杯生きようって。
また、思えた。
天国で会おう‼️👋😌
お爺ちゃんとの約束👴😌。。
茶色い羽のプレゼント🎁?
不思議なことがあったので今日ここに記録しておく。
日本時間2020年10月11日、午後6時頃。
友人と電話で話をしている最中に、部屋の中を1枚の羽が舞う。
褐色の色をした茶色い羽だ。
(羽毛ぶとんの羽かな?)
と疑問に思ったが。
私の羽毛ぶとんは白い羽だから、これとは違う。
それに、風も無いのに部屋の中を舞うのはとても違和感がある。
茶色い羽。
そこで調べたら。
茶色い羽=大天使👼ラファエルの羽
ではないか?という結論に至る。
「大天使👼ラファエル」
治癒の天使👼とされており、人々を癒す守護天使。
●音楽を司る
●心身の治癒を促す
●人間関係の修復を促す
平和に安全に、心身健康で暮らすための全ての導きを司るという。
茶色い羽は、幻か?
いや、本当にあるから写真に残した。
さらに!
10月10日がラファエルの誕生日らしい。
今日は10月11日だ。
1日ずれたかと思いきや。
西洋の国の何処かでは、まだ10月10日だと思う。
調べたら。
私が羽を見つけた時刻に、10月10日のラファエルの誕生日を祝っていた地域は。
アラスカ
ロサンゼルス
サンフランシスコ
ラスベガス
私は唯一行ったことあるアメリカ🇺🇸の地域は、ロサンゼルスとラスベガス。
まあ、これは偶然かな?
考え過ぎかもしれないな 苦笑。
でもなんか。
祝福された気がした😌。
病を治し、癒すチカラのあるラファエル。
天使👼の存在は、未だに信じがたいものがあるけれど、今回ばかりは本当にいるのかもしれないと思えた。
偶然が重なり。
それをどう捉えるか?
どう解釈するか?
それだけのことなのかもしれない。
でも、私は不思議だと思った。
だから、ネットで調べた。
そしたら、大天使👼ラファエルに行き着いた。
「治癒の天使」ならば。
私が最も必要としている天使なのかもしれない。
楽しくて嬉しい日になった😃。
ありがとう😊
天使👼っているのかもな❤️
茶色い羽もありがとう😊❤️
人混みの中、私は独り
「人混みの中が、イチバン孤独を感じる」
人混みの中。
スクランブル交差点。
青信号。
一斉に皆んな歩き出す。
私もその波に乗って。
行き交う人たちに遅れないようにと。
横断歩道。
道の真ん中でつまずいた。
動けなくて。
周りを見渡す。
行き交う人々。
立ち止まったのは私ひとり。
(波に乗れないの)
(同じように歩けないの)
多くの人々。
私だけ時が止まったかのようで。
独りで居るときは
こんな気持ち
感じたことなかった。
私だけが溶け込めない。
世界に私だけ取り残されて。
ねえ、誰か気づいて。
置いてかないで。
孤独なひとりの私を見つけた。
人混みの中、
イチバンちっぽけな私を。。
生きづらいのは精神疾患のせいか。
精神障害者になると、それに付属する経済的精神的問題がいつも日常にあるから。
そうじゃない大勢のひとたちから取り残されてしまう。そしてそれは時に「孤立」や「孤独」を産む。生きづらさから多くの人々が歩いている人生ゲームから脱落してしまう。
篭りきりなら感じないのに。大勢の中、つまり社会に飛び込むと「孤独感」や「孤立感」は余計身に染みる。
「人混みの中、ずっと1人でいる感覚」
私たちはそれを背負いながら生きていくことになるのね。
寂しさはいつまでも続くのかな。
歩みを止めてでも手を差し伸べてくれる誰か、寄り添って導いてくれる誰か。
その誰かに皆んな皆んな。
出会えますように。
「誰か」に語りかける言葉は
「誰か」に語りかける言葉は
誰かを励ます言葉の数々は
きっと
自分を励ますための言葉だろう
何度も何度も
それを繰り返して
今にも消えそうな
誰かの支えになりながら
誰かを勇気付けながら
1番崩れそうだったのは
あなた自身だったのだろう
自分を奮い立たせ
自分を励まし
自分に語りかけながら
懸命に
生きてきたのだよね
誰かの支えになりながら
誰かを励ましながら
あなたは。。。
よく、頑張ってきたね
よく頑張って生きてきたね
「誰か」は
あなた自身だった
そう、あなただった
「花」という名🍀
「花」
と、聞くと。
心がチクチク。
少し痛むような。
愛情が身体全体から
湧き出してくるような。
不思議な感覚に陥る。
私は独身で子供もいないけれど。
若い時はそれでも。
普通の家庭を夢見てた時期もある。
「子供は1人だけ欲しいなあ。」
そんな風に考えてて。
可愛らしい女の子が欲しかった。
名前はもう10代の頃から決めていて。
「花」
「はな」
今でも可愛らしい名前じゃない?
とか思っている。
旅先のラオス🇱🇦で出逢った日本食レストランで。一度だけ「花ちゃん」というハーフの女の子に出逢ったことがある。
私はその「娘を持つ」ということが叶えられなかったので、その時は胸がチクチク痛んだ。
でも今は、他人の子だとしても。
「花」って名前の子がいるたびに。
「幸せになってな」
と優しい気持ちになる。
今世では叶えられなかった。
それを後悔は全くしていない。
ただ「花」を見るたびに。
自分の娘を愛でるようにして。
私は癒されるのだ。
愛情が心の底から湧いてくるのね。
「花」を嫌いな人は
この世にいないと思えるから。
女の子は可愛らしい。
いっぱい愛されて。
いっぱい愛して。
優しくして貰って。
優しさを返せるような。
人を大切にして。
何よりも、
自分を1番大切にできるような。
表情がくるくる。
素直で自分に正直であるなら。
女の子が幸せな社会は。
みんな幸せになれる。
女の子が1人で泣くことのないような。
そんな社会になればいいな。
「花のように笑う君の幸せを願う」
仮想の母。ラズドラゴンは思う。笑
ちょっと母性愛爆発💥😆
来世では是非会いたいね😌🍀
大殺界の六星占術と最高運気の九星気学
「六星占術」にて。
私は今年大殺界なんですよ💦。
だからTwitterの皆さんや周りの友人に、悪い運気が行かないように気をつけたいのね。
大殺界調べたら。
結婚、転職、引越し。
または大きな決断はしないこと、とあるから。
凄く慎重なんですよ。
今年の大きな決断は、あまり良い結果を結ばないと言われてるから、始めるなら来年まで待とうかなあって考えたりして。
今年はゆっくりペースで休みながら調整することを意識してます。
これから来る飛躍のために。
占い🔮は悪いことは信じたくないけど、一応気をつけたいの。
でもね‼️
一方で、最高の最盛期なんですよ😃🍀
今度は「九星気学」。
六白金星の私は、人生で最高の最盛期の時期を迎えてるんですよ😃
「風を味方にして上昇する福運の年」
そして、今年頑張れば。
来年は「結実の実りの年」なんですね😃
だから、今年は頑張ってます。
六星占術だと最低な大殺界💦
九星気学だと最高の最盛期の年😆。
良い事悪い事、
吉凶混合年になるのかなぁ?🤔
どちらが優勢かはまだわからないけど。
12月まで気を抜かずに。
できるなら良い年になるように。
誠意を尽くして、人に優しく。
自分にも優しく。
穏やかに残りの3カ月を過ごしたい。
皆さんも。
気になる方は調べてみてね👋😃🍀
肥溜めに落ちた私のヒーロー
柔らかなストーブの光と私のヒーロー。
おじいちゃんが小さなストーブにその日の薪を焚べる。薪ストーブは冬は暖かくて、お正月にはきねとうすで餅をついた。出来上がるたびに美味しく分け合ったお餅のなんて美味しいこと。柔らかくて甘くて未だに記憶から消えないのだから不思議だ。
おじいちゃんの畑は、家から歩いてすぐの所にあり、おじいちゃんは毎日畑仕事に行く。
トウモロコシ、イチゴ、大根、キャベツ。
私はおじいちゃんの後ろをトコトコ付いて回り、小さいなりに畑仕事を毎日のように手伝って。そこには楽しい記憶がたんまりと詰まっている。
ある日、私はいつものように畑仕事についていき、畑にある大きな大きな肥溜めに丸ごと落ちた!
「わーん😭‼️」
泣いて顎まで肥溜めに浸かった私を、おじいちゃんは慌てて助け出し、すぐさま家に連れ帰った。
汚くて臭くて怖くて。私はなかなか泣き止まなかった。おじいちゃんは、すぐさまお風呂場に私を連れていき、シャワーで洗い流してくれた。
「泣くな泣くな。洗えば綺麗になるから😌」
「お母さんに叱られる」
「おじいちゃんが服を洗濯しておくから、大したことないだろ?」
そう言って新しい服を着せてくれた。
臭くて汚くて怖くて。それがおじいちゃんの全てですっかり消えた。
その日からおじいちゃんは私のヒーローになったのだ。暗い肥溜めから救い出してくれた私のヒーロー。
それから私はおじいちゃんにべったり。
おじいちゃんの好きな水戸黄門を一緒に見た。相変わらず2人で畑に言った。ご飯を一緒に食べて時々同じ布団で寝た。
冬が来るとおじいちゃんを思い出す。
保育園におじいちゃんが毎日送り迎えしてくれる。寒い冬を雪の中ソリで送り迎えしてくれた。
肥溜めまみれの汚くて臭い小さかった私を。
大丈夫だからと温めてくれた優しい手。
おじいちゃんは永遠にヒーロー。
私の大切なヒーローだから。
<田舎の更にど田舎生まれ>
私の小さな頃は石油ストーブが家に無かった。村には当たり前にコンビニや信号は無くて電車も通ってない。山と海しかない辺鄙な田舎の村だ。
でも小さい頃は不自由は1つも無かった。山に川に海に原っぱに畑に田んぼ。遊び場は沢山あったのだから。
そんなど田舎での小さな頃の1つの想い出。
肥溜めに全身落ちたことがある人は、この世にどのくらいいるだろうか笑。恥ずかしいがそれも温かさに変わるほど、優しい祖父だった。
祖父との想い出にここに記憶を記す。